Send Your Love
Send Your Loveへようこそ。
このホームページではアメリカの作家オーヘンリーの翻訳を公開しています。なるべく簡単な日本語に訳しましたので、良かったら読んでいってください。なお訳文の著作権は私、横田祐に帰属します。
ニュース
科学
- サーバーサイド技術について (Yokotayu.com)
- 哲学について
- Basic mathematics applied to AI(Artificial Intelligence)
- 四元数
- One Instruction Set Computer on JavaScript
subleqで作った、最小のチューリング完全なコンピュータ。 - 型付き Scheme インタープリター
- 普通のやつらの上を行け。LISP が時代遅れの低能な言語だって?そんなことはない。LISP はルンバにも使われている。
- HaskellのようなJavaScriptで書いたモナド
- モナドについて説明 (外部サイト)
- Shorのアルゴリズムによる量子計算(JavaScriptでエミュレート)
- SKI コンビネータを計算する。
- 黄金の心(Raspberry Pi で動くインターネットラジオ受信プログラム)
心理的虐待について
自分を信じて、疑わずに生きている。それが幸せかも知れない。私には分からない。「自分は普通である。」と思えば良いだろう。そうすれば理性的な判断ができる。
「自分には幸せになる権利がある」と信ずれば良いだろう。その上で色々なプログラムを身に付けるだろう。自分も信じてみよう。
私が則天去私なら、私は空虚だ。相手か自分か、自分か他人か選ぶのではなく、(自分も含めて周りの)皆が幸せになれば良い。全ての人が幸せになることはない。不幸になりたい人もいるから。そのような人は除外されるだろう。
この法則を(再帰的に)適用するなら、幸せとは幸せな人たちを自分の周りに集めることである。
あなたがたに幸多きことを。この言葉は幸せになりたい人には祝福であり、不幸になりたい人には呪いである。
私は人を非難しあう環境で育ったため、そのような行動が身についてしまった。あるいは唯我独尊だったのだろう。自業自得だ。でも、人の良いところを探して認めるようにすれば、人を好きになれるだろう。自分を下げるのではないが、人を持ち上げるように。しかし、悪い人たちが多いので選ぶ必要もある。
日本語について個人的な指針
- なるべく能動態で話す。ほとんどの文は能動態で表せる。
- 受動態を使うのは主語が分からないときだけ。
- 二重否定を使わない。代わりに肯定文を使う。
- 分からないことを分かろうとするな。モノにできることが全てだ。
全てを知ろうとしてはいけない。
禅と循環する思考
禅は見たもの、聞いたことをそのまま受け入れ、それについて考えないことである。何かについて考えるときは思考の断片について出力を入力に回し、また、新しい出力を入力する。禅はそうではなく、感じたことをそのまま受け入れ、それに対する思考を放棄することである。禅は自然と一体になる方法である。
十牛図について、牛を捕まえたと思ったが、自然の中に答えがあった。
なぜ、こんなに違うのだろう。
- “How can we be so different and feel so much alike?”
“And how can we feel so different and be so much alike?”
“I think this is quite a mystery.”
Stellaluna by Janell Cannon adapted by M.Plumtree - 私たちはこんなに違っているのに、同じように感じられる。
そして、私たちはこんなに違うように感じられるのに、似ている。
これはすごい謎だと思う。
映画“I am Sam”で知りました。永遠の謎だと思います。
基本的信頼
基本的信頼はそれによって世界が安全だと認識できるものです。人によって基本的信頼は色々でしょうが、私の場合、「困ったときは絶対に誰かが助けてくれる。」です。逆に、誰も助けてくれないときは困っていません。
自由と従属
かれは自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性とにもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる。
『自由からの逃走』エーリック・フロム
自由は本当に大変だ。自分の思い通りに何でもできる。でも責任を取るのは自分だ。なんて残酷で、なんて甘美なんだ。
会話について
私は話下手ですが、私なりに会話について思ったことを書いてみます。
会話にいつも正しい法則のようなものはありません。場の空気を読むことです。相手が話しているときは、「聴いていますよ」とサインを送ります。これは相づちだったり、うなずいたり、さらに話を促したりします。むやみに反論してはいけません。相手の意見を尊重したうえで、こういう考え方もあると提案するのも良いでしょう。会話はギブアンドテイクです。こちらが情報をもらったら、こちらからも情報をあげましょう。相手を尊重する、謙虚な態度が必要です。自分ばかり話してもいけません。相手の意見も聞きましょう。話し足りない位で丁度良いのです。多人数と話すときはそれぞれに目を合わせる、アイコンタクトも使いましょう。一人ではなくそれぞれに話しかけていますよ、とサインを送るのです。その場にいる全員に発言権があります。
はっきりと明るく発声することも大事です。聞き取りにくければ聞く気も失せてしまいます。ゆっくり単語を一つずつ区切って話します。慣れてきたら速く話します。「あいうえおあお、かきくけこかこ」などモーラ(拍)を一つずつ発声する練習も有効でしょう。とりとめのない話になりましたが、参考までに。
我あり、故に我思う
ひょっとするとこれはすごく無責任な発言かもしれませんが、人間は生きている、ということに、まず一番目の値打ちがあるのであって、その後、生きている間になにを成し遂げたか、どのような人生を送ったかということは二番目・三番目の問題として考えていいのではないか、と私は思っています。
「我あり、ゆえに我思う」というトマス・アクィナスのことばのほうに共感するのは、そういうことです。
『歓ぶこと悲しむこと(今を生きることば)』五木寛之
でも考えではなく感情が自分です。
寛容
つまり、自分たちの一部として体が病んでいる、病んでいるものに腹を立て、そしてそれを叩き潰そうと考えるわけにはいかない。その痛みや苦しみや、うめき声というものに共感しながら、自然のなかで生きていくしかないのではなかろうか。共存ということを考えなければならない、というふうに思います。寛容とは、「認める」ということなのです。「拒絶する」ということの反対です。
『生かされる命をみつめて』五木寛之
テロリズムは悪だと皆、認めるだろうが、彼らには歴史的なイギリスの三枚舌外交という原因がある。石油利権のために、民族自決が守られない、分断された国境。世界的な問題はともかく絶対的な悪がこの世にあるのだろうか?人殺しが悪なら日本を含めて世界の軍隊は全て悪です。
白か黒のような極端な発想は危険です。現実に合いません。実際はグレーか、白と黒のまだら模様だったりします。悪いものは悪い。良いものは良い。でも別の選択肢もいつもあるでしょう。一歩下がって冷静にみるのも大事です。
本当の悪は戦争を起こそうとする軍需産業である。彼らは戦争が起こると儲かるから、戦争を喜ぶ。
私は自分の中の「小さな悪」は行動する原動力だと思います。「言われたことと違うことをやってみよう。」と思ったり、「別の方法があるはずだ。」とひねくれてみたり。「新しいことを始めよう。」となるかも知れません。反対に大人しく言われた通りにすることが善です。善悪で言うなら少し反抗するくらいが、丁度良いと思います。自分を見失わないように。
人の欲
- Ju pli oni posedas, des pli oni avidas. - Zamenhof
- より所有すれば、より強欲になる。 - ザメンホフ
- Oni estas riĉa neniam sufiĉe. - Zamenhof
- 金持ちはいつも足りないと感じている。 - ザメンホフ
人の欲は限りがない。しかし、過ぎたるはなお及ばざるがごとし。資本主義は地球の資源を食いつぶし、環境を破壊するだろう。資本主義は利益を先取りすること。原発とも共通している。
- Kion vi ne perdis, tion ne serĉu. - Zamenhof
- あなたが失っていないものを探すな。 - ザメンホフ
幸せを求めると幸せは逃げていきます。なぜなら今の幸せを否定しているからです。そして望みは全て叶っています。今ある幸せを感じることです。今あるもので、足ることを知ることです。でも複雑な感情(コンプレックス)は敵です。コンプレックスが原因で起こる犯罪が多いように思われます。
何もしなければ道に迷わないけれど
何もしなければ道に迷わないけれど、何もしなければ石になってしまう。
阿久悠
世界に向かって自分を開くためには、どんなことでも、とにかくはじめてみることである。ごくごく軽い気持ちで、新しい行動をしてみることがきわめて大切なのである。
『行動してみることで人生は開ける (まず、できることから、やってみる)』 加藤諦三
- Faroj estas fruktoj, sed vortoj estas nur folioj. - Zamenhof
- 行動は果実である。しかし、言葉はただの葉である。 - ザメンホフ
何もしなければ、何もできなくなってしまう。とりあえず何か行動しよう。違うことをやってみよう。「何もできない。やる気がない。」というのは行動する前に色々と考えてしまうのではないでしょうか?多くの人は大抵、深く考えもせずに行動していると思います。
変えられることと変えられないこと
- God,
Give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,
Courage to change the things which should be changed
and the wisdom to distinguish the one from the other.
Reinhold Niebuhr(1943) - 神よ、変えられないことを冷静に受け止める余裕を与えてください。
変えるべきことを変える勇気を与えてください。
そして変えられることと変えられないことを区別する知恵を与えてください。
ラインホルド・ニーバー
他人の考え・感じ方は変えられないけれども、自分の考え・感じ方は変えられる。それだけで世界は変わります。なぜなら世界の見方は客観的ではなく主観的だからです。でも自分の考えを否定しても、自分の感情は否定しないで下さい。
置かれた場所で咲きなさい
置かれた場所で咲きなさい。置かれた場所がどんなに日当たりや水はけが悪くても、そこで咲く努力をすれば必ず何かをつかめます。「運命は冷たいけれど、摂理はあたたかいですよ。」という言葉にハッとしたんです。けれど「何のためにいただいたのか」と考えれば、そこに意味を見いだせます。
PHPベストセレクション『いい人生を生きる』渡辺和子
摂理は神の働きです。人間の働きではありません。「我々が神である」と主張するフリーメイソンとは違います。疑問に思う人は「プロビデンスの目」の意味を英語で考えて下さい。ハレルヤ!神を讃えよ。
自分の愚かさ(欠点)を知る
私は、自分と自分の行動が馬鹿馬鹿しく思えるようになったとたん変わりはじめたのだ。自分が変わるには、自らの愚かさをあざ笑うことだ。そうすれば見切りをつけ、前進することができるのだ。
『チーズはどこへ消えた?』スペンサー・ジョンソン
あるがままの心で
あるがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごしている。知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中でもがいているなら、僕だってそうなんだ。
『名もなき詩』桜井和寿
あるがままで生きられたらいいのに、皮を被って生きている。それが罪だし、でも社会というものだ。所詮、生きることは演ずること。人生は演ずること。仕事も演ずること。お金があれば自由だけれど、我々は金の奴隷だ。罪からの解放、御国の到来をただ願うだけ。
けれど、人間は捨てたものではない。希望を持って生きていれば良いことや幸福感を味わえるだろう。ちなみにエスペラントや英語を勉強すれば分かることだが、希望は未来形である。“I will ~”の形が希望である。つまり、「~しよう」、「~したい」の形です。こんな単純な言い方で希望を言おうなんて、(少なくとも会話においては)言語は馬鹿だと思います。
自分を好きになる
等身大の自分だって きっと愛せるから
最大限の夢描くよ たとえ無謀だと他人が笑ってもいいや
花 ~Memento mori~ 桜井和寿
自分を好きになれば、好きなことができる。当たり前のこと。コンプレックスや劣等感を抱えていては自由に動けない。これは、加藤諦三が何度も指摘している。
よい子が陥る罠
人間も社会的存在である以前に生きものであり、生身の人間として「役割」を脱いで、他者と触れ合うことにこそ、人生の喜びがあり、醍醐味があるのです。だが「よい子」という枠にとらわれている人は、その人生の喜びや醍醐味を自由に味わうことができません。だから、なんだか生きづらいのです。
『生きづらい時代と自己肯定感 「自分が自分であって大丈夫」って?』 高垣忠一郎著
素直に自分を表現して、相手の真意を考える
「愛されたいのに愛されない。分かってくれない」など、癒されないと感じることがあるかもしれません。しかし、自分が誤解されるような表現をしているのかもしれません。また、相手の言うことを表面的に聞いて、真意を探っていないかもしれません。素直に自分を表現すれば、分かってもらえるでしょう。また、相手が誤解を招くようなことを言ったとしても、じっくり話を聴けば本当に言いたいことを理解できるでしょう。要は分かりやすく言えばよいでしょう。日記を書いたり、作文をしたり、詩歌を詠んでみたり、自分の表現を磨く必要もあります。
しかし、突き詰めると、人と人は互いに分かり合えない。淋しいものです。
分かり合うよりは、確かめ合うことだ。
『人生を語らず』吉田拓郎
ヘッセの『車輪の下』より
そして科学的な人は、新しい皮袋のために古い酒を忘れ、芸術的な人は、数々の皮相な誤りを平気で固守しながら、多くの人に慰めと喜びを与えてきた。それは批判と創造、科学と芸術、この両者間の昔からの、勝負にならぬ戦いだった。その戦いにおいては、常に前者が正しいのだが、それはなんびとの役にもたたなかった。これに反し、後者はたえず信仰と愛と慰めと美と不滅感の種をまき散らし、たえずよい地盤を見つけるのである。生は死よりも強く、信仰は疑いより強いから。
それは一種の巧妙なしかも確実なしるしづけである。自発的な隷属の意味深い象徴である。ときとして脱走する乱暴者を除いては、シュヴァーベンの神学校生徒は一生その面影をはっきり残している。人間というものはなんとまちまちなものであろう。また人間のおいたった環境や境遇もどんなにまちまちなことであろう。それを政府は生徒たちについて、一種の精神的な制服、あるいは「はっぴ」によって合法的に根本的に等しくしてしまう。
科学が神の存在を証明するものであるように。また、個性が大事と言いつつ、集団の中に個人を埋没させる学校教育が変わるように。アーメン。
普通なんてものはない。個性を持った人間が夫々存在するだけだ。
The Police (ポリス)
Our so-called leaders speak
with words they try to jail you.
They subjugate the meek.
But it's the rhetoric of failure.
“Spirits in the material world” The Police
私たちのいわゆるリーダーはあなたを鎖につなぐ言葉を話す。
彼らはおとなしい人を服従させる。
しかし、それは失敗に終わる美辞麗句だ。
この世界の支配者(リーダー)はフリーメイソンだろう。彼らは悪魔を崇拝している。悪魔の数字の足し算 6+6+6→18 を重視している。フリーメイソンがバビロンだ。
人を奴隷にするのは簡単なことだ。考える力を奪うことだ。それはすでに実行済みだ。コンピュータやスマートフォンがそうだ。それらを使うこと、検索することで考える力を奪っているのだ。それはコンピュータに頼れ、という洗脳だ。恐らくフリーメイソンの教義は自ら進んで奴隷になることだ。
- I will turn your face to alabaster,
When you'll find your servant is your master.
“Wrapped Around Your Finger” The Police - 私はあなたの顔を石膏のように変えるだろう。
「あなたの召使いがあなたの主人である」ことにあなたが気付いたとき。
洗脳を解く方法
洗脳の方法
- 徹底的にあなたを否定し、あなたが悪いと決めつけます。
- あなた以外の人々が良い人たちであると教え込みます。
洗脳を解く方法
- あなたは良い人です。
- あなたの周りには悪い人たちがたくさんいます。
- 彼らはあなたの金を奪う・盗むことが目的です。
- 彼らはあなたに嘘を教えました。
- 彼らと縁を切りましょう。
- 真実を知りましょう。
- 暴力で人を支配することはできません。
- 愛とはちょっとした気遣いです。
サイコパスの特徴
- 自分の記憶を操作できる。
- 自分に都合の良い記憶をねつ造できる。
- 自分に都合の悪い記憶を消去できる。
- よって、完全なウソをつける。(うそ発見器でもわからない)
- 金を盗んだり、奪ったりするためには、何でもする。
- 人のせいにする。自分が悪いことが絶対にわからない。(記憶を操作できるため)
- サイコパスは同音異義語がわからない。
- サイコパスは有限状態機械である。
- サイコパスは“a”(97)を最後に受け入れる。「エー」ではない「エイ」である。
- 神性Gの忌み名
「からくり」を見抜く
最近、ゆとり教育が見直されて、もっと考える力を身につけさせるべきだと文部科学省や有識者と呼ばれる人たちが騒いでいますが、「いったい考える力ってなんだろう」という素朴な疑問がありませんか。僕が思うのは、考える力って、結局、「からくりを見抜く力」のことだと思うんです。世の中のあらゆるものにはからくりがあるんですね。からくりは、社会システムであったり、制度であったり、法律という言い方をしたり、いろんなレベルがあります。
でも、からくりは、ものごとの「裏」にあることが多いわけです。一方、表にでてはっきりしているものは建て前なんです。法律にこう書いてありますといっても、それは建て前だけで、現場でどう運用されているか、誰がどういう目的でつくったのかというからくりが裏にはあるんです。
『思考のレッスン 発想の原点はどこにあるのか』 竹内薫、茂木健一郎著
こんなホームページに書いてあることを鵜呑みにせずに、自分の頭で考えましょう。
映画マトリックスより
The Oracle: We're all here to do what we're all here to do. I'm interested in one thing, Neo, the future. And believe me, I know - the only way to get there is together.
預言者: 私たちがここにいるのはここにいるためだ。私は一つのことに興味を持っている。ネオ。未来よ。そして私を信じて。そう。未来へ行くには一緒でなくっちゃ。
幸せになるための努力の方向
セリグマンはむしろ努力が報われるか、報われないかが幸せには重要であると言う。逆境のない人の人生が幸せなのではなく、逆境を乗り越えた人の人生が幸せなのである。
PHPベストセレクション『いい人生を生きる』加藤諦三
ゲーテの『若きウェルテルの悩み』(泰豊治 訳)
私はどれほどまでに
私の頭上を飛ぶツルの翼をかりて
あのはかりしれぬ海のかなたの岸へ行くことをねがったろう。
無限の泡立つさかずきから
あふれる人生のよろこびを得ることを熱望したろう!
ただ一瞬でもわが胸のかぎられたちからの中に
あらゆるものを自己によってつくりだす
まことの幸福のひとしずくでも味わおうとねがったろう・・・
Ah, how often in former times did I long for the wings of a crane that passed overhead, to fly to the shores of the measureless sea, and there drink the full joy of Life from the foaming goblet of the Eternal, and taste, if only for a single moment, with the limited power that is in my breast, one drop of the blessed serenity of that Being who makes all things, in Himself and through Himself.
“The Sorrows of Young Werther” translated by Michael Hulse
Kiom mi deziris, per la flugiloj de la gruo fluganta super mi, atingi la bordon trans la senlima oceano!
Kiom mi aspiris la abundan ĝojon de la vivo el pokalo senfine ŝaŭmanta!
Kiom mi deziris gustumi, almenaŭ momente, guton de la vera feliĉo produkti ĉion per si mem en la limigita forto de la brusto!
“La Suferoj de la Juna Werther” tradukite pro Konisi Gaku
私の好きな詩です。人は創造的であるべきです。創造的であるとはオリジナリティがあることです。手塚治虫の『火の鳥』で知りました。
聖書より
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
マタイ 7章 7節
Blessed are the pure in heart, for they shall see God.
Feliĉaj estas kore puraj, ĉar ili vidos Dion.
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
マタイ 5章 8節
あなたがたに幸多きことを。
それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行う思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を1つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。
ヨハネの黙示録 17章17節
また、巨大なしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には12の星の冠をかぶっていた。
ヨハネの黙示録 12章1節
2017年9月23日に成就する聖書に書かれた天体の配置。世界の始まりの日とイエスの初臨の際にのみ現れた印。
祈り
天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように
地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお許しください。私たちも私たちに負いめのある人たちを許しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。
マタイ 6章 9節~13節
アーメンは「そうあって下さい」という意味です。
生きる目的
こんなことがよくも当初において理解できずにいられたものだ、とただそれに呆れるばかりだった。こんなことはいずれもとうの昔から誰にでも分かりきった話ではないか。きょうあすにも病気か死が愛する人たちや私の上に訪れれば(すでにいままでもあったことだが)死臭と蛆虫のほか何ひとつ残らなくなってしまうのだ。私の仕事などは、たとえどんなものであろうとすべては早晩忘れ去られてしまうだろうし、私もなくなってしまうのだ。とすれば、なにをあくせくすることがあろう?よくも人間はこれが眼に入らずに生きられるものだ――これこそまさに驚くべきことではないか!生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、が、さめてみれば、これらの一切が――ごまかしであり、それも愚かしいごまかしであることに気づかぬわけにはいかないはずだ!
『懺悔』トルストイ著、中村白葉・中村融訳
人生の目的は解脱して、輪廻転生の輪から外れること。
菩提は無上なれども 誓って証らんことを願う。
願くは この功徳をもって あまねく一切に及ぼし われらと衆生と みなともに仏道を成ぜん
本当に どうか つつがなく
何も変わっておりません。このまま在り続けるより仕方がないのです。
仏教は解脱が唯一の目標である。釈迦は目標ではない。釈迦は自分勝手だ。少なくとも自分が解脱すれば、良かったのだから。
人間はつまらないアナログコンピュータである。誤りが頻発することからも分かるように本質的に不完全である。みんな、自分が賢いと勘違いしている。だから、つまらない情報に振り回されている。
二進量子化コンピュータも自然数論のω矛盾を抱えている。サイコパスのメモリー(予定)としての機能以外に、この世に完全なものはない。
嘘つきとまっとうな人
結論から言って嘘つきとまっとうな人は区別できない。まっとうな人は人々と会話を自然に行うだろう。そして、会話には愛想などの(私から言わせれば)嘘が必要だからだ。嘘も方便という。また、未来形はそもそも常に偽であることにも注意しよう。すると会話はほとんど嘘である。例えば、「病気が良くなればいいですね。」という見舞いの言葉も嘘である。言った時点で嘘ではなくても未来は嘘になるかもしれない。そして、まっとうな嘘をつけない者が排除されるのである。私は嘘つきになりたくないと思っていたが、この事実は受け入れるべきだろうか?また、自分もそのように演技するのだろうか?しかし、人は心地よい嘘を求めるのだろう。私もそうかもしれない。
ブルーハーツの『皆殺しのメロディ』に倣って『皆殺しの文章』とでもするか?
善意について
心というのは不思議なもので、単純な考えだけ理解できる。つまり、一人称のみ。人を馬鹿にすれば、自分を馬鹿にしたことになる。金子みすずの詩『こだまですか?いいえ誰でも』にもありますね。人を褒めれば、自分を褒めたことになる。「情けは人の為ならず」ともいう。言霊という日本古来の考え方もあります。言霊は言葉に宿る力です。言霊の力が自分に働くことを意識すれば、良い言霊で心身共に健康に進んで行けると思います。しかし、事実を言うことを恐れる必要はありません。感情と情報(伝えたい内容)を分離することです。これは自分の感情をコントロールすることになります。自分の心(鏡)を磨きましょう。
生き方のヒント
- 自分の考え方、感じ方は変えられる。
- 人付き合いは直感を大事にしよう。
- 自分と人を大事にしよう。
- 何事も当たり前と思わずに、感謝すること。完全な幸運はない。
- こちらからやってあげる。ちょっとした気遣い。
- 愛を見つけることは野花を見つけることに似ている。
- 理不尽な扱いをする人たちから離れよう。サイコパスに気を付けろ。
- 人の良いところを見つけよう。
- 自分に悪いところがあっても良い。完璧な人間はいない。不完全なりにやっていこう。
- この世界は縁で出来ている。自由になりたくて色々と勉強したが、この世界はシガラミであることが分かった。それは悪いことではない。
- 価値のあるものを創ろう(対人関係や合意やサービスなど精神的なもの、あるいは物質的なもの)。特に仕事について。
- 夢を持てば、金が必要になるが、金の巡りも良くなるだろう。皆と共有できる夢があれば良い。そういう夢を玉とか瑞と呼ぶ。
- 良い人たちは皆孤独を抱えて生きています。
- 「人生・社会でいつも正しい事(法則)はない」のが辛いところです。
禅詩
- 道をたどり
- 師をあおげ
- 師にしたがえ
- 師とともに歩け
- 師を見通せ
- 師となれ
見知らぬ旅人に夢よ多かれ。
『人生を語らず』吉田拓郎
知らないことが夢である。知ってしまえば夢ではない。それでも構わない。
- “He who has a why to live for can bear almost any how.”
Friedrich Nietzsche - 「なぜ生きるか知っている人は、ほとんど全ての生きる方法を知っている。」
ニーチェ
自分の生きる意味を知れば、毎日起こる問題にどう対処すればよいか知っていることになります。生きていく方針がはっきりするからです。
世相
法律と風習があるために社会的処罰が存在し、文明のただなかに人工的な地獄をつくりだし、 神意による宿命を人間の不運でもつれさせているかぎり、また貧乏のための男の落伍、飢えのための女の堕落、暗黒のための子供の衰弱という、現世紀の3つの問題が解決されないかぎり、 またあちこちで社会的窒息が起こりそうであるかぎり、言葉をかえてもっと広い見地に立って言えば、 地上に無知と悲惨がある以上、本書のような性質の本も無益ではあるまい。
1862年1月1日 ヴィクトル・ユゴー